聖地の輿図

ヒッポス

Hippos · ガリラヤ湖東岸の丘の上、現在のイスラエル、ガリラヤ湖南東のスシタ(ヒッポス)遺跡
ヒッポス(ギリシャ語で「馬」を意味し,アラム語名はスシタ)は,デカポリス(十都市連合)の一つで,ガリラヤ湖東岸の平らな尾根の上にあり,西岸のカペナウムと湖を隔てて向かい合っていました。聖書に一つ一つ名指しされてはいませんが,イエスがデカポリス地方でいやしと宣教を行い,デカポリスから大勢の群衆が従って来た背景には,ヒッポスを含むこの一帯がありました。
聖書での初出
また,ガリラヤ,デカポリス,エルサレム,ユダヤ,ヨルダンの向こう側から大勢の群衆がイエスに付いて来た。— マタイ 4:25
背景
ヒッポスという名前はギリシャ語で,アラム語名のスシタと同じく「馬」を意味します。ガリラヤ湖東岸を見下ろす平らな丘の上にあり,デカポリス(「十の町」)という都市連合の一員でした。この連合はローマの支配下にあったギリシャ・ローマ文化の都市群で,ベト・シェアン(スキトポリス)を除き,ほとんどがヨルダン川の東,ガリラヤ湖の南東一帯にありました。ヒッポスは西暦前2世紀ごろセレウコス朝によって建設または拡張され,西暦前63年にポンペイウスによってローマの支配下に入りシリア属州に属した後,自治を認められたデカポリスの都市となりました。広い列柱通り,神殿,劇場,浴場があり,住民は主にギリシャ化した異国人で,湖の向こうのユダヤ人の町カペナウムやコラジンとは好対照でした。丘の頂からは,イエスが活動した西の湖岸が一望できました。福音書には「デカポリス」が繰り返し出てきますが,ヒッポスはガリラヤ湖に最も近く,最も代表的なデカポリスの都市の一つでした。イエスの宣教の初め,「ガリラヤ,デカポリス,エルサレム,ユダヤ,ヨルダンの向こう側から大勢の群衆がイエスに付いて来」ました(マタイ 4:25)。ガダラ人の地方で,イエスは「レギオン」という名の大勢の悪霊に取りつかれた人をいやし,その人は回復後,「イエスが自分のためにしてくださったことをデカポリスで宣べ伝え始め,人々は皆驚き」ました(マルコ 5:20)。後にイエスは「シドンを経て,デカポリス地方を通ってガリラヤ湖に」行き,そこで耳が聞こえず言葉の不自由な人をいやされました(マルコ 7:31-37)。こうした異邦の町の人々こそ,イエスが関心を払い,宣教を届けた対象だったのです。ヒッポスの発掘では列柱通り,ローマ式浴場,教会,城壁などが見つかり,ギリシャ化・ローマ時代からビザンティン時代までの興亡が明らかになっています。西暦749年の大地震が,この丘の上の都市を最終的に破壊しました。今ではスシタ国立公園の遺構がガリラヤ湖東岸の高台に残り,湖の向こうのイエスの宣教の地と向かい合っていた「馬の町」の面影を伝えています。
関連聖句(新世界訳)
また,ガリラヤ,デカポリス,エルサレム,ユダヤ,ヨルダンの向こう側から大勢の群衆がイエスに付いて来た。— マタイ 4:25
その男は出て行き,イエスが自分のためにしてくださったことをデカポリスで宣べ伝え始め,人々は皆驚いた。— マルコ 5:20
イエスはティルス地方から戻る時,シドンを経て,デカポリス地方を通ってガリラヤ湖に行った。— マルコ 7:31
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